Masaki Baba  
 
 
よろしければ、私の唄を聴いてください。 
このウエブサイトを訪問してくださる皆さんへのメッセージ・気が向いた時に書いている不定期日記のようなものです。感じたこと、気になったこと、あの日の想い出や最近の出来事、、、などをつれづれなるままに・・・
 
 
金宝山に眠る歌姫
皆さん、こんにちは。Masakiです。先週の日曜日に、4週間にわたって台北の僕の家に滞在していた父と叔父を連れて、台北郊外の金山郷に行ってきました。運転手兼ナビゲーター役は友人のLさんです。まず、地形の隆起とその後の浸食でキノコや燭台のような奇岩が林立する野柳という半島を散策し、次いでつい先日入滅した聖厳法師が開祖であり、台湾仏教の三大山の一つに数えられる法鼓山に登り、その後Lさんのお父さんが眠る金宝山にお参りをし、仕上げはアルカリ性鉄泉の金山温泉に浸かるというフルコースでした。父も叔父もそして僕も大満足の小旅行でした。

ところで、Lさんのお父さんのお墓のある金宝山は、日当たりの良いなだらかな山の斜面に位置し、緑や季節の花々に溢れ、ゆったりとした造りの佇まいの敷地に台湾の著名な彫刻家である朱銘さんの作品が散りばめられていて、野外美術館かテーマパークのような場所で、ちっとも暗さを感じさせないリゾート系ともいうべき墓地なのです。そしてここは、僕が台湾に来てからいつか行こう行こうと言いながら、ずっとその思いを果たせなかった場所でもありました。なぜっかて?それは僕が最も敬愛する台湾出身の歌手もまたそこに眠っているからです。

その人の名は、ケ麗君、本名はケ麗ウン(ウン=「たけかんむり」に「均」)と言い、日本ではテレサ・テンの芸名で親しまれていた歌姫です。もう二十年以上も前になりますが、僕が上海に留学していた頃に、初めてテレサ・テンの歌を中国語で聴いた時の感動は今も忘れることができません。なぜなら、中国語の歌の方が日本語のそれより何倍、何十倍も甘く艶やかでなおかつ力があってステキでしたから。でも、その当時の中国大陸では、彼女の歌を聴くことは、表向きは御法度でした。戒厳令が敷かれ、「大陸反攻」というお題目を唱えていた国民党の蒋経国政権下の台湾と当時の中国大陸は、現在とは違って敵対関係にあり、国民党軍を度々慰問していたテレサ・テンは、敵性歌手と見なされていました。にもかかわらず、上海の市井の人々は皆彼女のテープをこっそり聴いていて、実は誰もが彼女の「歌迷」と呼ばれる大ファンでした。

さて話は一瞬変わって、1987年に中国の全国のテレビ局網で放送された「外国人中国語歌唱コンテスト」という番組に、僕は上海地区の代表として出場したことがありました。そしておそらく僕が、テレサ・テンの歌を中国の公共放送の電波に初めて乗せた人物であろうと思われます。そのコンテストの上海地区予選の時でした。僕はテレサ・テンの「軽風(そよ風)」という超マイナーな曲でエントリーしたのですが、番組のディレクターからこの曲は歌ってはならないとダメ出しを喰らいました。

僕:「えっ?どうしてこの曲がダメなんですか?」
ディレクター:「それは台湾の曲だろう。」
僕「台湾の曲は歌えないんですか?」
ディレクター:「当たり前だろう。そんなこともわからんのか?」
僕:「あれっ?それって変じゃないですか?確か中国政府は『台湾は不可分の一部分』って言ってたんじゃないですか?はあ、そうか。台湾は中国じゃないからダメっていうことなんですね。」
ディレクター:「ううっ!ちょっと待って。そうは言っていない・・・。」

その後テレビ局内部の会議が開かれ、どういう経緯があったのかは皆さんのご想像にお任せいたしますが、結局僕はその歌を歌えることとなった次第です。

そんなこんなで僕もずっとテレサ・テンの「歌迷」でしたから、1995年にタイ北部のチェンマイで、彼女が持病のぜんそくの発作により42歳の若さにして亡くなったというニュースは、当時に北京にいた僕にとっても極めて衝撃的でした。何とも言えない喪失感に、しばらく腑抜けた状態になったのを覚えています。

テレサ・テンのお墓は、とても洒落たデザインでした。お墓に続く道の入り口には大きなピアノ型の墓碑が置かれ、その脇を通ると生前の彼女の歌声がスピーカーから流れてきました。香港で行ったコンサートのライブ録音のようです。観客と広東語でやりとりをした後で彼女が歌ったのは、戦前に李香蘭(山口淑子)が歌ってヒットした「何日君再来(いつの日か君還る)」でした。テレサさん、ようやく会いに来ることができました。いつも僕に安らぎと勇気を与え続けてくれてありがとう。

追伸:さて、3月11日の笛雁くんとの「河岸留言」でのライブステージは、立ち見が出るほどの盛況で、お客さんも十分満足してくれた様子でしたし、ライブハウスのオーナーからもその場で次のステージのオファー(4月30日)をいただきましたので、まずは成功したと言えると思います。ただ個人的にはまだまだ多くの課題があり、次に向けてできるところから修正しつつ、更に多くのお客さんにと「一ミリの幸せ」を共有できるよう努力します!当日のライブの様子は哈日杏子さんがレポートしてくれていますので、杏子さんのブログをご覧くださいね。次回もお待ちしています!

http://shinzu.net/2009/03/12/311/


(Updated:2009/03/19)
 
 
笛雁と河岸留言にて
皆さん、こんにちは。Masakiです。笛雁(ディーイエン)と初めて会ったのは去年の10月頃だったかな。彼はふだんは台湾のあるテレビ局に務めているオフィスワーカーですが、実はシンガーソングライターでもあります。康康(カンカン)という、ちょっとパンダみたいな名前のこちらの著名タレントに彼が提供した「兵変(兵役に行っている間に彼女が心変わりをしてしまうこと)」という曲は、台湾のカラオケボックスにはだいたい置いてあるので、ちょっとしたヒットソングだったようですね。

それはともかく、その後僕たちはお互いの作る作品の世界や音楽に接する姿勢、人生観などにすっかり共鳴してしまい、それじゃあ一発コンビを組んで音楽活動をやってみようかねと大いに盛り上がった次第。そして、ゆるやかに時は流れ・・・

春が来ました。満を持してライブでの共演(競演?狂宴?)の運びと相成りました。日本語と中国語が飛び交うハートフルな歌の世界とお茶目なトーク(中国語ですが・・・)をどうぞお楽しみくださいね。

日時:3月11日(水)21:00〜22:00
場所:河岸留言(Riverside Music Cafe)
   台北市羅斯福路三段 244 巷 2 號 B1

http://www.riverside.com.tw/cafe/news.htm#indie_artists

チケットのお問い合わせはこちら:
http://www.riverside.com.tw/cafe/about.htm
(Updated:2009/03/04)
 
 
日台合作映画「トロッコ」完成
皆さん、こんにちは。Masakiです。昨年の夏頃、日台合作映画の「トロッコ」についてご紹介しましたが、その映画の音入れ等のポストプロダクションの最終作業のため、先週の月曜日から川口監督とプロデューサーの片原さんが台湾にやって来ています。今回は、川口監督には我が家を宿として提供させていただき(片原さんにも別の仕事で台北を離れるまでお使いいただきました。)、夜な夜な日本と台湾に跨る歴史の記憶や文化論、映画談義に花を咲かせています。僕も先日、侯孝賢撮影組の音楽ディレクターの杜さんのラボで音入れまで完成した作品の試写に立ち会う幸運に恵まれました。このラボから、侯孝賢やウォン・カーウァイ(王家衛)、エドワード・ヤン(楊徳昌)といった多くの台湾や香港の巨匠の映画が旅立って行ったと思うと、感慨もひとしおです。

さて、この作品は、以前述べたとおり、芥川龍之介の小説「トロッコ」を下敷きにしつつ、原作の大正時代の伊豆から現代の台湾に舞台を移し、日本と台湾に跨る家族の愛と子どもたちの成長を描いたドラマです。試写を見て改めて台湾の緑豊かな自然を背景とする映像の美しさ、それを引き出している撮影監督の李斌賓さんの絶妙なカメラワーク、母親役の尾野真千子さんのナチュラルな演技力、長男役の原田賢人くんの大人顔負けの目力(めぢから)、それに今回この映画に音楽を提供した川井郁子さんの切なくも力強いヴァイオリン、そしてそれらを絶妙のタイミングで画像に填め込んだ杜さんの職人技・・・そして何よりこの映画に賭けた川口監督や片原プロデューサーをはじめとするスタッフの熱い思い、そうした全てのものが渾然一体となって熱く僕の胸に迫ってきました。集団芸術の妙、あるいは魔力というものを、僕は確かに内側から垣間見ることができました。

僕は昨年夏の撮影前から川口監督、片原プロデューサーからは脚本を読ませていただき、ストーリーに対して愚見も述べさせていただいていましたし、我が家と花蓮とロケにも二回立ち会っていましたので、ストーリーや映像の一部は頭に入っていたのですが、試写では自分のこれまでの人生や子役の二人に僕の息子たちの幼い頃の姿がダブってしまい、二つのシーンで涙が止めどなく流れるのをどうにも抑えることができませんでした。トシとって涙腺が緩くなってしまったのかもしれませんが(笑)、この「トロッコ」に関しては、もう客観的に論評をする資格を僕は失っている気がします。

川口監督が「『トロッコ』は既にもう自分の手を離れて、この映画に関わってくれたみんなの作品になった。これからさらに成長していく姿を見るのが愉しみ。」と話してくれました。僕もこの作品が国際舞台でも活躍してくれることを密かに期待しています。ガンバレ、「トロッコ」!日本と台湾での公開はともに今年の9月の予定。皆さんにも是非見ていただきたいな。

「トロッコ」公式サイト:http://www.torokko.com/story.html
(Updated:2009/02/13)
 
 
再び元宵節
皆さん、こんにちは。Masakiです。今日は旧暦の1月15日、元宵節です。外にはきれいな満月が出ています。日本ではこの日を小正月とも言っていますよね。台湾の一般家庭では、この日に一家の円満や団らんを願いつつ、北方系の「元宵(ユエンシアオ)」あるいは南方系の「湯圓(タンユアン)」と呼ばれる餡入りの白玉団子を茹でてスープと一緒に食べる風習があります(台湾では冬至にも「湯圓」を食べます。)。餡も小豆や落花生、胡桃、胡麻など甘いものから、肉や野菜の入った塩気のあるものまで多種多様です。僕は上海に留学していたこともあって、どちらかというと「湯圓」派ですかね。そうそう、この元宵節は灯籠節とも呼ばれ、この時期には街のあちこちに華やかな灯籠が飾られます。昨年のこの時期にこのブログでも紹介したように、平渓という街では、熱気球の原理で天空に灯籠を飛ばす「天燈」という壮大かつ幻想的なものもあるんですよ。

そういえば、先々週の土曜日に、釣りキチの次男が日本の高校を1年間休学し、オーストラリアの西海岸の中心都市パース近郊の高校に留学するため、一人で旅立って行きました。次男は留学を自ら志願した理由として、オーストラリアの教育システムの方が自分に適していること、シドニーで身に着けた英語に更に磨きをかけたいこと、誰も知人のいないパースでゼロからのチャレンジを自分に課したいことなどを挙げていました。まるで優等生のように格好良いことを言ってくれるじゃないか!でも、キミのオヤジは初めからお見通しなのだよ。西オーストラリアの海には、キミの大好きな魚くん、とりわけカンパチやヒラマサのような大型魚たちが群れをなして泳いでいるスポットがいくつもあるのだからね。・・・・・とは言え、若干16歳で異国に飛び出そうという気概だけは、我が子ながら十分頼もしいと思います。きっと様々な経験を通じて、一回りも二回りも成長してくれることでしょう。

日本とオーストラリアと台湾と別々の国で暮らす僕たち家族は、なかなか一家団らんという訳にはいかないけれど、今宵のこの月は、きっとキミたちのいる場所からも見えるはずだよ。祝平安!

追伸:連日の報道にもありますように、オーストラリアのビクトリア州で大きな山火事が起こり、百数十名の方が亡くなるという惨事に心を痛めています。亡くなった方々とそのご家族に心からの哀悼を捧げます。
(Updated:2009/02/09)
 
 
好馬不吃回頭草
こんにちは、Masakiです。今日は最近印象に残った言葉から。備忘録。

ある人がこんなことを言いました。

「一日一万歩歩き、
 一日千文字書き、
 一日百回深呼吸し、
 一日十回笑い、
 一日一回祈る。」

なるほど。

別の人がこんな台湾の諺を教えてくれました。

「好馬不吃回頭草(=良馬は振り返っては草を食べない)。」

なるほど。

また別のある人がこんな詩をつぶやきました。

「たったひとり、わけのわからにところに産み落とされて、
 たったひとり、わけのわからないままやがて逝かねばならない。
 これは「宇宙の孤独」

 愛しいものに囲まれれば囲まれる程、
 家族や友人や恋人達に愛されれば愛される程、
 それは激しさを増してくる。

 でもこの孤独は悪くない。
 この「宇宙の孤独」が愛になるのだから。

 自分の中から愛が溢れ出していく感じは悪くない。
 それと入れ替わりにまた「宇宙の孤独」が流れ込んでくる。
 そしてそれがまた愛になって溢れ出してく。

 これが生きるということ。
 悪くない。」

なるほど。

身体と精神の健康法、人生を歩む姿勢、孤独と愛の循環律。身近な人の言葉は、今日の僕を昨日よりも豊かにしてくれています。本当にありがとう。感恩!
(Updated:2009/01/16)
 
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