Masaki Baba  
 
 
よろしければ、私の唄を聴いてください。 
このウエブサイトを訪問してくださる皆さんへのメッセージ・気が向いた時に書いている不定期日記のようなものです。感じたこと、気になったこと、あの日の想い出や最近の出来事、、、などをつれづれなるままに・・・
 
 
トップデザイナーの哲学
皆さん、Masakiです。明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い致します。さて、昨年12月のことですが、ファッションデザイナーのコシノヒロコさんとお会いする機会がありました。コシノさんのファッションショーを僕は生で見たこともあるのですが、「和」のテイスト=日本人としての自己のアイデンティティを全面に打ち出しながらも、革新的なデザインの数々の作品に圧倒されたことを覚えています。「Hiroko Koshino」のブランドを引っ提げて50年間、この世界でトップランナーとして走り続けてこられた理由は何か?コシノさんはその答えを自分の活動を支える5つのルールという表現で、12月4日に台北の実践大学で行われた「トップデザイナーの哲学」というタイトルの講演会において、600名の聴衆を前に惜しげもなく披露してくださいました。

1.この仕事を好きでいること:「仕事だから」というスタンスでは、ものづくりはできないし継続することもできない。仕事の枠を超え、夢中になるくらい好きでいること。

2.自分のスタイルを持つ:その時代その時代の価値観や考え方に惑わされず、自分自身のスタイルを貫くこと。

3.自分に対して厳しく:発表した作品に満足することなく、常に次を目指し、新しい何かを探ること。

4.自分が目標とする基準を持つ:目標とする先輩、憧れの対象者を心に描き、少しでも近づく努力をする。目的意識を持つことで、具体的なアプローチの方法は自ずと見つかるはず。

5.必ずリスクを自分自身に課す:常にリスクを感じることで、仕事の内容の密度が高くなり、仕事に対する覚悟を持てるようになる。その結果、多少のことに動揺することもなくなるはず。

これらはどんな仕事にも通ずる普遍的な原理だと思います。そういえば、米国の俳優ニコラス・ケイジが、自身の仕事を「それ以外の職業が思い浮かばないほど好きで好きでたまらない」と言っていましたし、聖路加病院理事長の日野原重明さんも、生き甲斐を持つために「憧れの人物を持ち、目標とする」ことの大切さを説いていました。こうしたことを見事に実践している方の言葉は、本当に説得力があります。

また、上記の5つのルールとは別に、コシノさんは仕事に対する基本姿勢として以下の5点も併せて挙げていらっしゃいました。

1.先入観を持たない:目が曇ってしまい、美を発見しようという精神を削いでしまうから。

2.自分の限界を限界と思わない:見方や視点を変えれば、ヒントはたくさん見つかるから。

3.誰もが天性の美点を備えている:しかしそれが活かされるかどうかは本人の努力次第。努力によって天性の美が輝くのであって、自分の天性を発揮出来ないというのは本人の努力が足りないか、目的意識が弱いからである。

4.好奇心を失わない:面白そうなことをいつも探し続け、面白い企画が持ち込まれれば喜んで引き受ける。

5.自分の人生は自分でデザインする:デザインとはファッションやインテリアだけでなく、家の中にことにも企業経営にも、人のあらゆる営みの中にある。

どれもこれもなるほどと思いつつも、僕自身ができていないことも多くて、耳が痛かったり、ちょっと恥ずかしかったり・・・(汗)。

コシノさんとはこれまで3,4回ほど食事をしながらゆっくり話をさせていただく機会にも恵まれましたが、自信と活力に漲りながらも、あくまでも謙虚で気さくなお人柄にも、僕はすっかり敬服させられました。ステキな方というのは、周りを惹き付ける強烈なオーラを発しながらも、とても謙虚なのだということもだいぶわかってきました。

そんなことを思い出しながら、ちょっとだけ気合いが入った新年のひとときでした。皆さまにとりまして穏やかで健やかな年となりますように!
(Updated:2010/01/07)
 
 
沖縄の風人たち
皆さん、こんにちは。Masakiです。またまたすっかりご無沙汰してしまいました。さて、ひょんなことから、先週末2泊3日で僕のバンドのピアニストの裕翔とドラマー&パーカッショニストの陽明と一緒に沖縄に演奏旅行をすることになりました。

「風人(*かじぴとぅ)の祭」という、人と人、人と自然のつながりをテーマとした野外音楽イベントに、僕の友人の竜さんと拓ちゃんの2ピースユニット真荷舟(Manifune)が招待されたのですが、竜さんから「是非一緒にどう?」と声を掛けていただいたことから、僕たちも台湾から応援参加することになったのでした。台北から那覇までは東北東に向かって一時間でひとっ飛び。沖縄と台湾の地理的近さを改めて実感しました。

「風人の祭」では、僕もコーラスのほか、真荷舟の「見上げれば青い空」というレゲエの曲をメインボーカルとしても歌わせていただきました。その日はあいにく曇っていましたし、海風も強かったのですが、「その雲の上には青空が広がっている」という竜さんのMCに後押しされるように、沖縄の空と海と風と人に感謝の気持ちを込めて存分に歌うことができたかな。この音楽祭に参加した他の風人たちも、自然としっかり向き合おうとしている方たちばかりで、本当にステキでしたよ。

風人の祭2009 in 沖縄公式ホームページ:http://www.kazipito.com/

(*「風人」=「かじぴとぅ」は西表島の方言で、自然と共に生きる人、思いやりを持って生きる人のこと。)

そして、そのイベントの前日には、島唄カフェで真荷舟と僕のバンドが、二時間貸し切り状態でライブ演奏する機会もいただきました。何曲かは二つのバンドのセッションもありましたし、お客さんからもとても暖かい反応をいただきましたし、僕のバンドのメンバーの裕翔、陽明も含め、音楽の楽しさ、出会いの素晴らしさをここでも実感!とりわけ裕翔のピアノと陽明のパーカッションは、即興演奏が二人とも得意だけあって、次々と真荷舟サウンドと融合し、共鳴し、僕もその輪の中にいられて本当に幸せでした。わずか3日間の短い滞在でしたが、三線(さんしん)の音色とともに、音楽が生活に染みついている沖縄という土地の豊かさを再認識する旅となりました。美味しい泡盛と沖縄料理も堪能できたしね。言うこと無し。

こんな素晴らしいチャンスを与えてくれた真荷舟の竜さんと拓ちゃんと沖縄の皆さんに感恩です!
(Updated:2009/11/18)
 
 
颱風「莫拉克」の爪痕
皆さん、こんにちは。Masakiです。台湾では8月8日に縦断した颱風「莫拉克(Morakot)=台風8号」が台湾南部を中心に大きな被害をもたらしました。Morakotはタイ語でエメラルドを意味する美しい名前ですが、その名に反するような悪童振りで、降り始めからの雨量は、阿里山では、日本の年間降水量を遙かに上回る3000ミリという記録的な豪雨となり、台湾の中南部で大きな災害を引き起こすこととなってしまいました。死者は100名を遙かに超え、行方不明者は数百名に達しています。

各地の橋や道路はズタズタに寸断され、台東の知本温泉では、増水した河川に地盤が削られて川沿いのホテルが倒壊してしまいました。また、高雄県から屏東県にかかる橋では、その橋が途中からポッキリと折れ、通行中の自動車が乗っていた人もろとも川に転落して流されてしまいました。山沿いや谷間では鉄砲水や土石流が至るところで発生し、とりわけ高雄県の小林村では二百数十戸あった住宅が二軒だけを残して壊滅し、数百名が生き埋めになってしまいました。台風が過ぎ去った後の救助活動中にも、山中に孤立した被災者に救援物資を届けようとしたヘリコプターが墜落したり、救援ボートが転覆したりして、救援隊員4名が殉職するという痛ましい事故も起きています。このように、8月8日は「88莫拉克水災」として、台湾の人々に深い爪痕を残す大惨事となってしまいました。

http://www.youtube.com/watch?v=0QPO3fXxpa0
http://www.youtube.com/watch?v=R26_ePA9EfE
http://www.youtube.com/watch?v=tWzzntkyIwQ

台湾全土で台風休暇となった前日の7日の金曜日は、僕の住んでいる台北でも多少風雨は強かったのですが、台風が上陸し台湾北部を通過した8日の土曜日は、台北の近くを台風の中心が通ったにもかかわらず、何故か風もほとんどおさまり、小雨が時折ぱらつく程度という天候でした。その晩の僕のバンドのライブも、全く予定通りに行われたので、台湾の中南部でこれほどの惨事になっているとは思いもよりませんでした。

被害の状況が明らかにつれ、今さらながらですが、その日、同じ島に住む人たちがこんな状況に置かれていたことに思いを寄せることができなかった自分が情けなく、同時に被災した方々の深い悲しみ、耐え難い苦しみ、やり場のない怒りを前に心が痛みます。僕の心はこの1週間、重く沈み込んでいました。でも、このままじゃいけない。何かしなくちゃ。そんな時に、今回の災害に同じように心を痛めていた温泉好きの友人Wさんが、そんな僕の心情を察してか、こんな励ましのメッセージを送ってくれました。

Cheer up, Masaki
You can do a lot and you are actually doing a lot helping people in Taiwan.
Perhaps try to write it down your feeling now and make a song for 88….

そうかもしれない。僕もそうしたい。でもまずは、周りの人たちに呼びかけて義捐金を募って被災地に届けること、そして、緊急救助活動が一段落した後に、被災地に赴いて復興に向けて自分ができる具体的なお手伝いをすること。とりあえず考えられることを一つ一つ具体化していくことから始めよう。台湾各地からも海外からも義援金や救援物資が続々と届いています。僕も心を一つにしてその輪の中に入ろう。

今回の台風により被災者された方々に心からのお見舞いを申し上げます。
そして、亡くなられた方々に心からの哀悼を捧げます。

加油!負けるな、台湾!
(Updated:2009/08/17)
 
 
オーストラリアの青空のように
皆さん、こんにちは。Masakiです。7月11日から14日に掛けてオーストラリアのパースを訪れました。旅行家の兼高かおるさんが、かつて「世界で一番きれいな街」と言った西オーストラリア州の州都です。この街の最大の魅力は何と言ってもゆったりと流れるスワン川の存在でしょう。

英語で“mirror calm”と称されるその穏やかな水面は、パースの市中心部で川幅が数キロメートルと最も広がり、まるで大きな湖のようです。河面にはカモメや海鵜やペリカンが戯れ、シーズンには黒鳥が飛来し、市内の辺りでも海水と混じる汽水域であるこの場所には、スズキやコチやシロギス、クロダイなどの魚も数多く生息するため、イルカも魚たちを追ってやってきます。もちろん、多くの釣り人も(笑)。

そして、この街には、そんな釣り人の一人である僕の次男がこちらの高校二年生として留学しています。正確に言えば、彼の住んでいるところは、パースから見てスワン川の対岸に当たり、支流のカニング川にほど近いメルビルという街になります。

半年ぶりに会った息子は、ホストファミリー一家にも家族の一員としてすっかり溶け込み、既にアマチュアの域を脱している特技の釣りは言うまでもなく、日本ではいったん辞めていたサッカーも、学校とクラブチームとの掛け持ちで活躍していて、この街での留学生活を存分に楽しんでいるようでした。

英語の表現能力はもちろん、日本をはじめ東アジア諸国の詰め込み式とは対極にある、想像力と思考を鍛えるこちらの教育方式もすっかりツボにはまったようです。まあ、それが彼自身オーストラリアに留学したいと言い出した理由の一つではありましたが、他人とのコミュニケーション能力も確実に向上したように思いますし、どことなく大人びた雰囲気を漂わせるようになっていて、改めて逞しく成長している我が子の姿をとても心強く思いました。

今回は久し振りに親子水入らずで貴重な休日を過ごすことができました。スワン川沿いの彼のとっておきの釣り場をマウンテンバイクでサイクリングをしながら巡っていた時のこと。途中のカフェでお茶をしながら、僕は息子に将来について訊ねてみました。

「これから先、オマエはどうしたいと思っているんだい?」

実は、次男がオーストラリアという土地にこれほど水が合っているんだったら、留学期間を一年延長してこちらの高校を卒業するという選択肢も僕自身は用意していましたし、きっと彼もそれを望んでいるに違いないと思っていました。ところが、次男の答えは違っていました。

「僕は予定通り一年の留学が終わったら、日本の高校に戻るよ。最初からそのつもりだったし、一年で自分の英語力がどこまで伸びるかということを目標にしてきたから。おかげで今では英語の小説も辞書無しで読めるようになったしね。僕はね、今は異文化コミュニケーションに関心があるんだ。できれば将来は、国際的な舞台で仕事をできたらって思っている。オーストラリアは大好きな場所だけど、お父さんの力を頼らないでいつか自分でまた来るよ。」

彼はきっぱりと自信に満ちた表情でこう答えてくれました。来年、僕が台湾から日本に戻ったら、また家族みんなで暮らせるのを楽しみにしているとも。この半年間で彼がどれだけ成長を遂げたかを知るに足る一言でした。僕は既にそんなふうに自分の将来を見つめることができている息子を誇りに思います。

僕は息子の肩を軽く叩きながら、とても晴れやかな気持ちでいました。そう、あのオーストラリアの広くて青い空のように。
(Updated:2009/07/21)
 
 
歌う理由
皆さん、こんにちは。Masakiです。僕の兄貴分のその人は、1年ほど前に彼のブログでこう読者に問いかけていました。

「二十歳の時のあなたは何をしていたかったですか?」

続けてこう問いかけてきました。

「それでは、六十歳の時のあなたは何をしていたいですか?」

それが不特定多数の読者に向けられた質問であったにもかかわらず、僕にはそれが自分に向けられた質問のように感じられました。僕は心の中でこうつぶやきました。

「そういえば、二十歳の時の僕は、ずっと歌を歌っていたかった・・・シンガーソングライターになりたかったなあ。」

十八歳の時から作詞・作曲は始めていたし、大学時代はフォークソング研究会というサークルに入って、弾き語りやバンドを組んであちこちで歌ってはいました。中国に留学した時も歌のコンテストに出ては、全国大会で入賞し、それがテレビで放送されたこともあって道行く人に声をかけられたりもしました。でも、その時の僕は、自分の才能に限界を感じていたし、実際にその頃作った作品は、青春のみずみずしさを感じることはあっても、人の心の奥に届く言葉は見つけられていなかったとも思います。そしてその後、創作からは十数年間も離れることになりました。その時の僕は、感性はトシとともに枯れちゃうんだなあと寂しく思っていました。

さて、その兄貴分からの二つめの質問、六十歳の自分が何をやっていたいかということについては、思案するまでもなく、自分の答えはとっくに見つかっていました。

「やっぱり歌っていたいよね。子どもたちの前とか、ホームパーティとか、お寺でも教会でも広場でも、誰の前でも、どういう場所、どういう状況であっても、聴いてくれる人たちがいる限り、僕が作る歌を通して、自分がふだんの暮らしの中で感じている1ミリの幸せ、1ミリの温もりみたいなものを聴いてくれる皆さんと共有できたら、本当に嬉しいよね。」

なあんだ、ということは二十歳の僕も六十歳の僕もやりたいことは結局同じなんじゃない!もちろん、作る歌の内容や歌に対する姿勢みたいなものは、だいぶ違うかもしれないけれど、歌を作って歌おうとする自分は、過去も未来も変わらずにいつでもそこにいるんだなあ。そう考えると何だかとても嬉しくなってきました。今まで模糊としていた自分と歌との間の関係が、はっきりと輪郭を持って浮かび上がってくるようでした。じゃあ、現在の自分だって思う存分歌えばいいじゃない!

今では、感性は決して枯れるものではなく、気付いて自ら磨こうとすれば、いつからでも輝かせることができるものだということを僕は知っています。そして、いままで漠然としていた音楽に対する立ち位置が定まったとたん、この二年間で30曲と歌があふれるように生まれ始めました。そして、一緒にオリジナルアルバム作りの手伝いをしてくれたり、ライブステージを一緒にやろうって言ってくれる台湾の音楽仲間たちが、次々と僕の周りに集まってくれるようになりました。何とも不思議なものですね。感謝、感恩!

ところで、先日のことですが、ある人が僕にこう言いました。

「作詞作曲してステージでも歌うなんて大変いい趣味をお持ちですね。」

僕はその人にこう答えました。

「ごめんなさい。音楽は趣味じゃないんですよ。僕にとっては生活の一部なんです。ご飯を食べたり、眠ったりするのと同じことなんです(笑)。」

だから僕は歌うのです。呼吸をするように(笑)。

最後に、次回のライブステージのご案内です。意外と早くチャンスをいただけました。これまでのパフォーマンスをライブハウスのオーナーに評価していただけたということなんだと思います。有り難いことです。これも足を運んでくださるお客さんのおかげです。感謝、感恩!

http://www.riverside.com.tw/livehouse/events/20090709.htm

これまで4回のライブは台湾大学の近く、公館にある通称「小河岸」で行いましたが、今度は若者の集結する街、西門町にある「河岸留言紅楼展演館」、通称「大河岸」です。どこで演奏するにしても1ミリの幸せをお客さんやバンドのメンバーと共有できたら、僕はそれだけで嬉しいですね。今回も心を込めて歌います。請うご期待!
(Updated:2009/07/03)
 
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Photography: Mayu Kanamori
 
 
 
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